本を読んで。「子どもが壊れる家」と「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」

 草薙厚子著「子どもが壊れる家」文春新書を読んだ。著者は法務省東京少年鑑別所元法務教官で、本書では昭和58年前後から非行歴のない普通の家庭の中学生がいきなり重大犯罪を犯すような新しい非行について論じている。その中で加害者が育った家として、神戸児童連続殺傷事件、佐世保女児殺害事件、長崎幼児突き落とし事件、佐賀バスジャック事件を例に検討し、母親の過干渉の問題の他にゲームの影響について論じている。

 「まとめと教訓」に記載されている内容を簡単にまとめると以下のようになる。
@母親の過干渉と父親の存在感の無さ(逆もあり)
            ↓
A過干渉による「もう一人の自分」の芽生えと攻撃性の醸成
            ↓
B家庭や学校での居場所の喪失によるゲームやホラービデオ等の「幻想の世界」への没入
            ↓
C残虐な映像による現実と空想世界の境界の曖昧化
            ↓
Dゲームやホラービデオ等の親の黙認による歯止めの喪失

 著者は教訓として過干渉と放任を諌めている。

 神戸連続児童殺傷事件の犯人(少年A)の両親が書いた『「少年A」この子を生んで・・・・・』(文春文庫)を以前読んだ。内容はほとんど記憶していないが、両親は自分の子どもが重大犯罪を犯したことを信じられないことと捉えている。母親はAの「精神鑑定書」を読み終えて<母の手記>の項でもまだ、「一体、何に問題があったのでしょうか?」と述べて自分の過干渉に問題があったかもしれないことには全く気づいていないようである。

 少年Aは見たものを写真のように記憶できる直観像素質の持ち主であったが、やはり家庭とホラービデオの影響が大きかったのであろう。少年Aは人間の腹を裂き、内臓に噛み付き、貪り食うシーンを想像しながら自慰行為を行い、友達もそうだろうと思って、殺人のイメージで自慰行為をしていることを話して否定されている。その後、学校の授業中でも殺人場面が白昼夢として生々しく現れ、人の殺し方等を知るためにホラービデオを見るようになったと言う。

 宮崎勤も6000本のビデオを所有していた。狭い人間関係

 人と人が面と向かい合う機会は格段に減った。夕食時間にきっちり帰れるサラリーマンはほとんどいないだろう。家族ばらばらでとる食事。その食事内容もほか弁や店で買った惣菜類。家庭の崩壊。学校の崩壊。子どもの崩壊。このまま行けば世の中どんどんおかしくなるだろう。こんな世の中になり始めたのは、たかだかここ30年前位からなのである。

 ここで話は夜這いに飛ぶ。

 日本人が常識と考えている事の中に、たかが100年位の歴史しかないことがある。要するに明治新政府になって、国家から押し付けられたことを我々が道徳や常識として取り込んでいる事がある。例えば、貞操観念とかもそうではないか。特に庶民においては。庶民は基本的に子孫に残すものを持たないため、確実な血統の維持も必要ないし、貞操観念も必要なかった。必要なかったというよりも日本人自身が性には昔から非常に開放的であった

 古事記の中でイザナミノミコトとイザナキノミコトはそれぞれ「吾が身は成り成りて、成り合わざる処一処あり」、「吾が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。かれ、この吾が身の成り余れる処をもちて、吾が身の成り合わざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむとおもう。生むこといかに」と大らかに表現している。

 また、伴天連のルイス・フロイスは「日欧文化比較」で「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」「日本では、しばしば妻が夫を離別する」等と書いて、キリスト教の貞操観念が存在しない日本では、女性も性を謳歌し、江戸時代の支配体制が確立する前は比較的女性の権利も強かったことが分かる。

 では、庶民の生活はどうだったのか。

 先日、赤松啓介著「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」ちくま学芸文庫を読んだ。
 夜這いと言うと単に男が夜、好きな女の家に忍び込んでセックスすることを想像するが、この本を読むとそのような単純なものではなく、村ごとに組織化された風俗であることが分かる。この風俗は地方によってかなり異なるようであるが、村だけでなく、商家の奉公人の間でも行われていたようである。庶民の性風俗の記録はあまり残っていないようであるが、昭和26年に瀬戸内海の坊勢島に赴任した駐在所の巡査の記録では、赴任した夜に娘のところに若衆が夜這いに来たので怒鳴り返した等の記録があるらしい。

 ムラでは、子供は宮参りすると子供組に入り、13〜15歳で若衆組に編入される。女は13位で初潮があると娘仲間に入る。若衆入りするのに米俵を運ばせたり検査をする村が多かったとのこと。若衆入りすると年上の女や娘から性交を教えてもらい、後は夜這いで練磨することになる。著者は、「性交をさせない(現在の)性教育など、かえって危険である。」と言っているが、一理あるかもしれない

 若衆入りすると一人前の村人として認められ、土木作業や農作業でも一人前の賃金を貰え、女との交際や夜這いも公認される。悪いことをすれば、大人なみに処罰されるし、責任もとらされる。ムラで若衆組への初入りの日に性交の技能教育が行われることが多く、その最も典型的な例は後家による雑魚寝形式だと言う。寺院の仏堂に集まった後家と初入りの若衆がくじでカップルを決めて後家が性交技能を教えるのであるが、教え方に柿の木型や乗馬型といった型があったらしい。

 娘は初潮があると母親が末長く相談相手になれるような親類の長老などへ相談して水揚げを依頼したり、娘仲間が管理しているムラでは若衆頭が娘の希望も聞いて好きな者や熟練者に水揚げさせる例もあったらしいが、若衆たちがくじ引きで決めたり、早い者勝ちもあったらしい。

 明治政府は富国強兵策として国民道徳向上を目的に一夫一婦制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基礎を整える一方で、都市や新興工業地帯の性的欲求の為に遊郭、淫売街の創設、繁栄を図った。夜這いその他の性民族は非登録、無償を原則としたので国家財政に一文の寄与もしなかったが、明治政府は国民道徳との背反を知りながら、農村の隅々まで風俗旅館、酌婦宿を普及させて巨額の税収を得た

 夜這いの方法や型には種々あり、ムラの女ならみんな夜這いして良いムラ、未婚の女に限るムラ、他村の男を拒否するムラと拒否しないムラ、盆とか、祭りの日だけ他のムラの男にも開放するムラ。また、若衆仲間と娘仲間で1年間毎にクジで相手を決めるムラもあれば、1ヶ月や3ヶ月で変えるムラもある。順周りで毎回相手を変えるムラもある。

 こう見てくると昔の村社会にはプライバシーも何も無かったことが分かる。それは個人よりも村の存続を第一に考えていたからであろう。性は個人の快楽である前に大人は生殖として性交できる事が前提であり、血の閉鎖性を解放する手段としての夜這いの意味もあったのかもしれない。反対に現代は極端な個人主義思想とプライバシー意識の為に、人の育成の過程で極めて限られた人数の人間しか関与しない事もありうる。男の性欲の最も強い10代に性を抑圧することが本当にいいことなのか。抑圧しかない現在、一部の少年達が性をおかしな方向に解消しようとする中で犯罪化している面も多々あると思う。少年Aが直観像素質の持ち主であっても若衆組や夜這いという制度の中ではこのような事件は起こさなかったのではないかと思う。

 今から昔の村社会に戻ることは不可能であるが、科学の進歩に社会制度の再構築や将来予測が追いつかない現在、もう一度、我々はどういう社会を理想として目指すのか、考える必要があると同時に日本人の生活がどういうものであったのか、それは世界に誇れる多くの面があると思うのだが、もう一度、見つめなおす必要があると考える。

(2007年4月1日記)

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